箸で食べるのが正しいのか、手づかみが正しいのか
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中学受験の国語問題として、良く取り上げられる文章の一つに、比較文明論というジャンルがある。
比較文明論というのは、日本と西欧文明などを比べて、ああだこうだ言う文章だ。
比較文明論は、論説文と比べると、多少読みやすい文章になっている。
というのも国や文明が異なると、常識や道徳が異なっていてもおかしくないと、多くの人が思っているからだ。
論説文では著者自身の主張を訴え、評論文では、他人の作ったものに対し、著者の価値観で、ほめたりけなしたりする。
そのため論説文や評論文は、世間の一般常識とは異なった意見であり、常識や道徳心がある子供にとっては、読むこと自体が辛い文章かもしれない。
しかし外国と日本を比較して考えるだけならば、外国人が日本人とは全く異なった常識や道徳を持っていても、不思議ではないと思えるのだ。
「ウチはウチ、よそはよそ」と言う風に、全く別物として捉えることができるわけだ。
そのため比較文明論で「常識は絶対じゃない」ということを、様々な具体例を挙げて子供達に教えることができる。
たとえば日本では、食事をするときに箸を使って食べるが、インドなどでは右手を使って手づかみで食べる。
日本で手づかみでものを食べたら、汚いとか品がないとか怒られてしまうが、インドではそれが当たり前だという。
手づかみでものを食べるのは、良くないと教えられて育った子供なら、もしかしたらこれに生理的な嫌悪感を持つかもしれない。
しかしよくよく考えてみると、寿司や握り飯のように手づかみで食べて良いものは、日本にもある。
そこで「手づかみで食べて良いかどうかは、国や地域によって違うんだ」「日本でも、手づかみで食べて良いモノもあるんだ」というふうに、自分の知っている常識は、絶対正しいわけじゃないということを学ぶわけだ。
汚いと感じる行為も、国や文化によって全然違う。
中学受験の際に、よく採用される、比較文明論の文章。
これは「常識は絶対ではない」ということを、様々な例を挙げて説明するものだ。
たとえば手づかみでものを食べてはいけない、と言う風に日本では教えられる。
しかしインドや東南アジアの島国では、手づかみでモノを食べるのが当たり前であり、手づかみでモノを食べる際のマナーもある。
たとえば、モノを手づかみで食べても良いのだが、使う手は右手に限られている。
左手はトイレで使う道具であり、不浄なので食物には、一切触れてはいけない。
パンなどをちぎる際にも、左手は使ってはいけないから、右手一本でうまくちぎって食べるのがマナーだ。
他人に食べ物を渡すときも、手づかみで渡すので、日本人の常識からするともう、汚らしいったらありゃしない。
でもそれが彼らの常識であり、彼らの正式なマナーで、それを汚らしいと思う感覚などは無い。
彼らにとって汚らしいのは「食事に左手を使うこと」であって、日本人が左手を使って、握り飯でも食べているのを見せれば、なんと日本人は常識が無く、汚らしいんだと感じるだろう。
また日本と同じく箸で食事を取る中国でも、食事のマナーは日本とかなり違う。
たとえば器は原則として持ち上げてはいけなくて、茶碗のみ持ち上げても許されるとか、レンゲは人差し指を柄のくぼみに入れて持つとか、食事中に箸を置く際には、横に置いてはいけないとか。
魚の骨やエビの殻、鶏の骨などの食べかすは、吐き出してテーブルの上に積むというのもマナーで、ペッ!とテーブルに直接吐き出してもマナー違反ではない。
中国人社会では、それは汚い行為ではなくて、よくあるただの普通の行為なのだ。
つまり「汚い」と感じる行為も、国や文化によって様々で、何が汚くて、何が汚くないかは、簡単には決められないものなのだ。