国語で出題される文章は2種類しかない
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模試の国語の偏差値が、50を挟んで毎回大きくゆれ動く場合、得手不得手(えてふえて)が、他の子供より大きいと考えられる。
つまり、得意な文章が出れば高得点で、苦手な文章では殆ど点が取れない。
こういう状況だと、安定した成績が取れないので、模試のたびに偏差値が大きく上下に揺れ動くわけだ。
こういう現象は、おそらく国語特有だと思う。
というのも他の科目では、大問が4つから5つあって、いろんな単元から出題されるから、もの凄く苦手な単元が1つあっても、大きく点数が下がると言うことは無いからだ。
しかし中学入試で出題される文章には、大きく分けて論説文(説明文)と物語文(小説・詩歌)の2つのタイプしかない。
そのため、どちらかの文章の読解が苦手だと、点数が全く取れないことも起こりうる。
因みに説明文や論説文は、論理的な考え方を問う問題で、どちらかというと算数や理科が得意な理科系向きの問題。
もう一つの物語文や詩歌・俳句は、登場人物の心情を読み取る問題で、どちらかと言えば文系向きの問題だ。
この二つのタイプの文章の問題では、根本的に求められていることが異なるので、読み方の違いがしっかり分かっていないと、さっぱり分からないと言うことになるのだ。
そして算数や理科は大得意なのに、国語が苦手な子供の場合は、論説文ができて、物語文が苦手なことが多い。
登場人物の心情の変化が、どうもピンとこないらしい。
理系の子供は、他人の気持ちが分からない?
算数の成績は相当良いのに、国語の成績が悪い子供は、物語文の読解が苦手だという印象がある。
中学受験の題材とされる物語文は、たいてい小学生が主人公の物語で、登場人物の心情を考えることが多い。
主人公の周辺で何か事件が起こり、それによって何かを悟ったり、心情が変化する。
それを読み取るのが物語文の出題だ。
ところが他人の心情を察するというのは、相当難しい作業なんだよね。
というのも他人の心情を読むばあい、日常生活では顔色だとか声色や仕草から読むので、それができない子供には、ピンとこないからだ。
私は理系人間だが、アスペルガー症候群の気(け)があって、他人の表情から心情を読むのが非常に苦手で、物語文も昔から苦手にしていたのでよく分かる。
答えを見ても解説文を見ても、「なんでこの文章からそこまで読み取れるのか?」と、不思議に思うこともよくある。
国語の問題の場合、なぜそういう答えになるのか、というところが多少曖昧で、過去問集の答えなどをみても、根拠がよく分からない解説がついていることも多々ある。
解説を書いた人は、おそらく、人間の類型パターンのイメージを持っていて、「こういうことをする人は、こういうことを考える」、というような「お約束」みたいなモノがあるんだろうと思う。
あるいは物語の他の部分や、作者の他の作品も読んで知っているので、それでちょっと勇み足的な解説になったりするんだろう。
それに対して、説明文や論説文というのは、文章の構造がハッキリしているから理系人間には有り難い。
物語文の場合は、問題文中に書かれていない心情まで読みとらなければならないが、説明文や論説文の場合、問題文中に答えは書いてあるからね。