聴覚障害者教育「九歳の峠」とは?
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「九歳の峠」というのは、聴覚障害教育でよく言われる言葉らしい。
九歳の峠とは、脳は健常なのに、耳が聞こえにくいと、4年生以上の勉強がうまく進められないという現象だ。
脳には全く損傷が無いのに、耳が聞こえにくいと、なぜ抽象的なことが考えられないのかというのは、長年ずっと謎で様々な説が唱えられてきた。
しかしコンピュータやセンサーの発達によって、1990年代から脳機能のイメージング技術が発達し、おぼろげながら、その原因が分かってきた。
脳機能イメージング技術というのは、生きている人の脳の活動状況を映像化する技術のことだ。
機能的磁気共鳴画像法 (fMRI)や、ポジトロン断層法 (PET) などが有名だが、目で何かを見たときに反応する脳の部分と、音を聞いたときに反応する脳の部分が異なる事が分かっている。
そして人間がモノを考えているときと言うのは、同時に脳のいろんな部分が活発に動いていて、なんと本を目で読んでいるようなときにも、音に反応する部分が活動していることが分かった。
目で文字を読んでいるだけなのに、なぜ音に反応する部分が活動するのか。
これは人間の脳が、言葉を「意味のある音」として捉えており、本を読むときにも、文字をまず「音」に変換してから、その音に紐付けられた意味を引き出して理解しているということらしい。
言葉が「意味に紐付けられた音」として理解されているのであれば、耳が聞こえにくい子供が、九歳の峠を越えられないのは、ある意味当たり前の現象かもしれない。
耳が聞こえにくければ、それだけ脳に入ってくる音の数が少ないので、脳の中に記憶されている言葉の数も、健常者よりはるかに少ないだろうから。
読めない言葉は雑音で、全く聞き逃される
聴覚障害者教育の「九歳の峠」とは、耳が聞こえにくいことによって、小学校中学年以上の教育が、非常に難しくなるという現象のことだ。
人間の脳というのは言葉を「意味のある音」として捉えていて、「文字-音-意味」という連結ができないと、言葉の理解が進まないと言うことらしい。
3年生までの勉強というのは、実物中心の勉強だったから、たとえ耳が聞こえにくくても、実物と文字の関係を説明しやすい。
なので耳が聞こえにくくても、ある程度までは学習することができたわけだ。
しかし4年生以降の勉強というのは、実物が目に見えない抽象的な事が増えていくので、それを音なしで理解させるというのは、確かに至難の業かもしれない。
こういうことは、実は成績の悪い子供にも共通していて、模試の偏差値が40未満の子供は、読み書き能力が極端に低く、言葉に対する関心も殆ど無い。
知らない言葉を聞いても「それどういう意味?」なんて聞かないし、辞書を引いて調べると言うこともしない。
知らない言葉や、初めて聞く言葉は、彼らにとっては雑音にしか過ぎず、簡単に聞き逃されてしまうのだ。
その結果、学校で絶対に習っているはずの事も、全くと言ってよいほど覚えていないから、塾で一からやり直す羽目になる。
しかし算数の計算のように、何十回もやるようなことなら、それなりにできるので、要するに「頻度・回数」の問題らしい。
脳というのは、繰り返し使う情報はしっかり記憶する性質があるので、できない子供にはとにかく、言葉を読ませて意味を問う、ということを、根気よく、しつこいくらいに、ひっぱたいてでも繰り返さないといけない。
できる子供の家庭では、そうやって親が子供をひっぱたいてでも読み書きを教えるが、できない子供の家庭では、それを誰もやらせない。
こういうところで、成績に大きく差ができると言うことらしい。
言葉の積み重ねが、より深い抽象的な理解につながるのであれば、土台の言葉の積み重ねがないと、先に進めないのは当然だろうな。