受験とは、ど真ん中に直球を投げ込むこと

受験勉強には、勉強の順序と段階がある

 

読み書きの練習をしないで、いきなり入試の過去問に取り組んでも、全く歯が立たないだろう。

 

というのも入試というのは、「できる子供」と「できない子供」を分けるためのモノであって、そう簡単に合格点が取れるようにはできていないからだ。

 

入試とは、その学校で学んでいくための基礎学力を持っているかどうかを問うものである。

 

そしてさらに基礎学力や知識を使いこなせるか、持っている知識を組み合わせて考る力があるかなどを問うものだ。

 

だから受験生は、何を問われているのか、何を答えねばならないのかをハッキリさせ、試験問題を作った人の望む答えを書かねばならない。

 

入試では、自由な発想で作られた答など必要なく、出題者の求める解答を「これでしょ?」という風に解答欄に書き込まなければならないのだ。

 

変な話、ド真ん中にド直球を投げ込むことが必要で、受験生は、学校の試験管が構えたミットめがけて、ど真ん中に真正面から直球を投げ込める実力を養わねばならないのである。

 


中学受験で求められているのは、思いやりの心と、努力の跡。

入学試験では、学校から求められている答えを突き止め、それをど真ん中に放り込まなければならない

 

キャッチャーが構えたミットに、真っ正面から直球を投げねばならず、裏をかくようなことは求められていない。

 

そして中学受験で求められているのは、子供の勉強に対する態度や観察力、他人に対する配慮である。

 

それがハッキリ現れているのが国語で、漢字の読み書きなどが、かなり高い配点になっている。

 

ただしこの漢字問題が曲者で、読み間違えやすい漢字や、書き間違えやすい漢字が出題される。

 

「穀物」や「興奮」などの画数が多くて普段書かない漢字、「底」や「修」「耕」など、画数は多くないが、一画が欠けやすい漢字、ほかにも「図る」「量る」「測る」などの、同音異字の書き分け問題も多い。

 

これらは、どれくらい練習しているかを問うものであり、どれくらい正確に書けるかを問う問題でもある。

 

また国語の文章題では、子供が登場する小説がよく出題される。

 

親や先生、身近な大人と子供たちの間に起こったさまざまな出来事を題材にして、登場人物それぞれの気持ちを問うのだ。

 

これは、他人の行動や言動を観察して、気持ちをくみ取ることができるかを試している。

 

つまり、中学受験で求められているのは、観察力と、思いやりの心と、努力の跡ってことだね。

 


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